非凡を愛す

3

「……え?」
 その時私が感じたのは、異様なまでの静けさだった。それまで私の頭に襲い掛かっていたものが強大な嵐ならば、今まるでそれが私の後を去り、かわりにすべてがぐちゃぐちゃになった庭が残されたような、そんな感覚。心が急に空っぽになったような、体がふわふわとどこかに放られたかのような、そんな錯覚を覚える。海を見た。その眼はやっぱり私をしっかりと見つめていて、それが嘘でないことは否が応でも理解できた。そうして私の中に次にあふれてきたのは、
「……なんで。」
「なんでそれを、今まで秘密にしてたの?」
 明確な、怒りだった。
 憂いを含んだ悲しげな彼の顔を見て、ふざけるなと思った。だってきっとそれは、はじめからわかっていたことなんじゃないのか。いつかこの場所から去ることを知りながら、彼は私と五年以上も……そんな、意味のないことを。
「私たちは……私は、このために時間を砕いてきたってこと?こんな、こんなめちゃくちゃな別れのためにあったっていうこと?」
 じゃあ、あなたにとっての私って、何?
「違うよ。」
「何が違うの?私にはわからない。」
 焦ったように、制止するように私の言葉に返す海を、突っぱねるように私はまた言葉を放った。海は泣きそうな顔をする。泣きたいのは私のほうだ。だってこの年月がはじめから終わりのためにあったのだとしたら、私が彼とともに過ごした時間は、彼に抱いた信頼は、注いだ愛は、一体何だったのだろう。そこに意味はあったのだろうか。海にとってのこの数年間がどれほどのものか、私にはわからないけれど、少なくとも私にとっては到底短いとは言えない時間だった。それがぜんぶ意味のないものだったと突然知らされて、わたしがそれを受け入れると思っていたのか?馬鹿にするな。そう思った。
 海は黙っていた。視線をかすかに巡らせて、言葉を探しているようだ。私が怒りに任せて次の言葉を放つ前に、彼が息を吸う音が響いた。海は目を伏せる。
「……僕の星はね、大人になるころにみんな一度、自分の星を出て他の星でその星の生き物として過ごすんだ。それで僕が着いたのがここ、地球だった。」
 海は私にまるで昔話をするかのように話し始めた。海の星では、大人になるための通過儀礼として自分の星を飛び出して別の星に向かい、その星のことを学んでこなければならないらしい。海がいくように命じられたのが地球だった。地球に着いてはじめに海が形を得たのは一羽の鳩だった。空を飛んで、町に降りて、地球の――ニンゲンの在り方を観察していたそうだ。
「日本のニンゲンはみんな忙しそうで、僕の星はみんなゆったりと過ごしているものしかなかったからびっくりしたなぁ。」
 そうしてしばらくニンゲンの社会やほかの生き物を観察して学んだ海は、ついに人の形をとってその中で生きていくことにした。どこにでもいる普通の大学生として。そうして彼は私と出会い、親しくなって付き合い始めた……ということか。
「ほんとうはね、一年だけニンゲンとして生活したら星に帰ろうと思ってたんだ。僕はそもそもこの星の生き物じゃないから、むやみやたらに何かに影響を与え続けちゃいけないし、去るときはすべてを無かったことにしないといけない。……でもね、できなくなっちゃったんだ。」
 海はそういうと私を見て微笑んだ。何かをあきらめたような力が抜けるような笑顔だった。その目じりはかすかにうるんでいる。彼はもう一度目を伏せて、「ごめん。」と消え入るような声で言った。
「違うって言っちゃったけど……最初はそう、凪ちゃんの言うとおりだったね。……僕はこの世界に溶け込みたくて、それと同じぐらいこの世界のことをよく知りたかった。全部僕の罪だ。」
 人の形を得て、記憶さえも操作して紛れ込んだ学校で出会った君は、ほんとうにどこにでもいるような普通な子だったと思う。普通な子で、言ってしまえば僕にとってそのほうが「都合がよかった」。典型的な地球人を知りながら、この世界に紛れるために、僕は君が預けてくれた信頼を利用しようとした。
「でも僕は、大きな誤算に出会ってしまった。」
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