コール・マイ・ネーム

第7話

「ルイ、ルイ、ルイ……。」

 エル――ルイが異常行動をしたのち、研究員たちは即座に会議を行った。そしてそこに、僕が加えられることはなかった。会議はあまりにも単調だった。なぜなら、彼らは人間という生き物に対しての執着が、そもそも存在していなかったからだ。
『仕方ない……。貴重な研究対象が失われることは避けたかったが、また喪失させてもいつ回復するかわからん。殺すしかない。』
『安楽死させてしまおう。深く眠らせた後に、薬を体内に流し込む。自分がどうなっているかもわからないうちに死んでしまうさ。』
 会議室のドアの向こうから聞こえてきた声に反射するように、僕はそこから足を走らせて、研究室の一角へと向かった。何時間もただ項垂れて思考を凍らせ、それからまた時間が経ち気がつけば夜に近づくと項垂れてひたすらルイの名を呼ぶ。その度に世界が変わる前の彼の姿と、僕が――シドが変えてしまった「エル」の姿が反芻された。 (結局こうなってしまうのか)
 あの時、僕は必死にルイを生かそうとした。それはルイのためではなく、自分のためでしかなかった。
 ルイは初めから受け入れていたのだ。世界の変革を、自分の終焉を。なんの抵抗もなかった。もしかしたらあのまま死んでしまっていた方が、はるかにルイは幸せだったのかも知れないのだ。あの小さな家で、美しい桜の花びらを纏わせたまま、一度の生を終わらせられたのかも知れないのだ。そして僕は、あんなことを頼まなくても、少なくともルイを、あの美しい桜の下に埋めてやることぐらいはできたのかも知れないのだ。
『僕のせいだ。』
 いつかルイがいった言葉が頭の中で反芻される。そうだ、間違いなく僕のせいだ。僕が、僕が自分勝手に、彼を生かそうとしたからだ。いつかルイが老いて生を遂げるまで、自我を失い、微笑むことしかできない屍のような彼を、美しく、同時に残酷なあの檻の中で僕はただ彼に食事を与えて、眠らせて、まるで動物のように。そんな世界でも、本気で、ルイが生きていてくれさえすればいいと、思っていたのだ。それで誰よりも惨めなのは、ルイであることに違いなかったのに。
「ルイ、」
 それでも……そんな残酷なことを僕が望んでいたとしても。
 
 ただ、ただ本当に、愛していたんだ。
 
 はじめて見たルイの顔を覚えている。少しやつれた歓喜の顔は、僕までも幸せを満たした。桜の下で本を読むルイの顔を覚えている。気に入った詩の一節を読む時、伏せられたまつ毛が微かに震えるのが愛おしかった。
「エル」
『シド』と呼びながら、泣き喚いた声を覚えている。胸が張り裂けそうなほどに悲しくて、けれど同時に、どうしようもなく嬉しかった。
 他でもないルイが、僕にそう思う心をくれた。
 彼が僕に心を宿してくれたから、僕は彼と同じように、笑って、泣いて、怒ることができた。彼が僕を愛してくれたから、僕はこの無機物の体で愛を知ることができた。
 それを思い出すと同時に、自分の心がぐちゃぐちゃにかき混ぜられていく。
(いい加減にしろ。)
 僕のせいでこうなったのに。これ以上手を出すなんて。せめて楽に死んだほうが、ルイだってまだ幸せになれるのかも知れないのに。これ以上誰のエゴに振り回されることなく。幸せのうちに眠って、それで……。
 (なのに僕は……!)
 また僕は、彼を振り回そうとしている。自分がどれだけ罪深いかわかっている。これ以上手は染められない。それはすなわち、彼を、ルイを、エルを、傷つけることに他ならなかった。
 ……それでも。それでも僕は……!
「君に、生きていてほしい………!」
 自分のデスクに突っ伏して、思わずそれは細く頼りない声で言葉となって絞り出されるように溢れた。
 もう一度、抱きしめてほしい。もう一度、笑ってほしい。もう一度、名前を呼んでほしい。君に触れて初めて、人間が暖かいことを知ったんだ。君と話して初めて、世界には知らないことがたくさんあることを知ったんだ。君の笑顔を見て初めて、愛おしいという感情を知ったんだ。
 ずっと僕は、君を不幸にしてばかりで、何も返してあげることができなかった。でも僕は、この繰り返される麻酔のような日常の永遠を感じながら、それでも。
 それでも、君が生きてさえいれば、いつか幸せになれる道があるかも知れないと、そうどうしようもなく信じていたんだ。……そして、今も。
「……信じてるんだ。」
 
『今夜にでも始めてしまおう。ロイには知らせるな。あいつに知らせずに全て終わらせる。』

 頭に残る会話を思い出し、徐にデスクから立ち上がった。そして足を動かせば、自然と駆けて行くのがわかる。

 ごめんなさい、ルイ。僕は二度も、君を裏切ろうとしている。君みたいな合理的な行動や道徳的な考えなんてできない。ただ僕は、自分のことしか考えられない馬鹿だ。許してくれなんて、いうつもりはない。きっとそう縋ることさえ、僕にはできない。
 ……でももし、君がまだ僕の名前を、覚えてくれているのならば。そして僕の名前を呼んで、微笑んでくれるのならば。

 どうか、もう一度僕と、生きてくれ。
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