非凡を愛す
8
思わずそんな独り言をつぶやいて、私は半ば呆れたようなため息を漏らした。
「凪ちゃん、どうしたの?」
後ろからかけられた声に振り向く。そこには海がいた。地球にいたときとおんなじ、人の姿をして。私はきょとんとした海の顔を見て、それを少しにらんでこぶしで軽く彼をごつく。
「私は、ぐっちゃぐちゃの肉塊になる覚悟で海に泣きついたんだけど?どう?今の私。」
「昔から変わらずとってもかわいいよ。」
「そういうことじゃなくってさ……。」
ふふ、とほほえんで顔を寄せてくる海をどかすように掌で拒否の合図を示した。あの衝撃的な夜の後、私は一世一代の覚悟をもって彼の星にわたる決意をした。彼の腕(?)に抱かれながら地球を脱したとき、あぁこれから死ぬんだな、と覚悟を決めたのだ。なのに。なのにだ。
(ピンッピンしてるんだよなぁ……。)
なんなら重力の関係なのか地球にいたころよりも体が軽いまである。私はまさかの五体満足で、精神を錯乱させることもなく、見ず知らずの異星に降り立つことに成功した。なんてことだ。ありえない。こんなことを話せる相手がいたらだれもがそう言うだろう。私もそう思う。ありえない。
「何か気に入らないことでもあるの?」
「ないけど、ないから困るんだよ……。」
私のあの決死の覚悟が何だかから回って終わってしまった気がして、もういかにも拍子抜けというか、そんな気分だ。海の星は素敵だった。地球とはそれはもうかなり違う場所で、文化も理解不能なものばかりだったけれど、これも人間の適応力のなせる業というか、それとも海が環境を整えてくれているありがたさゆえというか、今のところ生活にも不満はない。一番私としてありがたかったのは、彼らにも食事という概念が存在したことで私はよくあるSFみたいにチューブから栄養を摂取するような事態に至っていないことだ。それどころか海が仲間たちに持ち込んだ地球食はいま、なぜかこの星で一定の人気を獲得しつつある。都合がよすぎるだろう、と心の中で突っ込んだ。
「これが物語だったらご都合展開すぎて非難轟々だろうね。」
「僕はハッピーエンドが好きだけどなぁ。」
海はまたおかしそうにふふ、と笑った。その声にまた半ば呆れるな顔を私はして、けれど今度は横に寄り添う彼を拒むことはしなかった。かすかに彼の体からやはり漏れ出す黒い影に背中を包まれながら、私は少し顔を上げた。この星の空はいつも地球の夜空みたいで、星がかすかに瞬いている。あの中の一つに地球もあるのだろう。そう思ってもやはり惜しいとは思わなかった。
「おなかすいたなぁ。」
「夕ご飯何がいい?」
「なんでも。でもお米がいい。」
「曖昧だなぁ…。」
今度は海が困ったような声で言った。私はそれに少しだけ笑う。地球からいくらも離れたこの星で、私は変わらず笑っている。最高に普通じゃないけれど、でもいやじゃなかった。むしろ心地よくさえあった。海が隣で困ったように笑っているのが、私にとっての何よりの幸福だった。私はもう一度彼の影を抱きしめ、体を寄せる。そうして一言だけ、こういった。
「ほんとになんでもうれしいの。海の作るご飯が宇宙で一番好き。」
海は私の言葉に如実にうれしそうな顔をしながら、私が言った言葉に何もぴんと来ていないらしい。あなたが忘れていて、私が憶えているなんて。
『凪ちゃんが作ってくれるご飯が宇宙で一番好き』
(あぁ、おかしい!)
あははは!
私はたまらず彼の影の中で笑い出した。海は少しびっくりしていたようだったけれど、次第につられるように笑いだす。静かな星に私と海の笑い声ばかりが響いた。もしこれが一冊の本ならば、こんな語りの終わり方は嫌われるだろうか。それでも私は構わない。どんなに都合がよかろうが、これは私の真実なのだ。私と、彼の真実なのだ。それでも気に食わないならば、どうか馬鹿な女の夢物語だとあしらってすべてを忘れてほしい。そうしてこんな物語にさいごまで付き合ってくれた読者の皆々様には、心からの感謝と愛を。あなたが見つけることはきっとかなわない、遠い星の彼方から。
