半死体の恋

第2話 

 「彰、みたまえよ。先日とある顔見知りの画商のところへ行ったのだが、なかなかに美しい日本画があってね。まだ駆け出しの新人だということだがその画商の一押しで、多くの人に知ってもらいたいからと比較的安価で売ってもらったのだよ。描き始めて一年もたっていないらしいがそのおかげか一部の金持ちたちには名が広まってきているらしい。君は日本画に造詣が深いから気にいるのではないかと思って持ってきたのだよ。」

藤色の布に覆われた長方形をイーゼルに掲げながらそういう級友は名を新納悠(にいな はる)と言い、彰にとって特に関わりが深く、よくあの画家のあれがいいこれがいいなどと談義を交わすいわば親友のような存在であった。そんな人間が珍しく自分に勧めたいなどと言って意気揚々と持ってくる絵なのだから一体どれほどのものかと思いながら彰はイーゼルの前の椅子に腰掛けた。
悠は期待するような目で布を丁寧に剥いでいく。そして布が完全に剥がされ、絵の全貌が明らかになった時_____


彰は、その一瞬で、己の身がどこにあるのかわからなくなってしまった。
彼の目の前にはただ、一枚の絵しか残らなかった。


それは、一枚の女の絵だった。髪を結わずに垂れ流し、鳥の子色に桔梗の紋が入った品の良い着物を着て、木の箱をそれにもたれかかるように抱きしめている女。抱きしめている木箱は大きさを見るに骨箱のようにも見えるが、箱の周りを流れるように垂れる女の髪でそれがどんな箱かそれ以上細かく判別することはできない。着物の割れ目を気にかける様子もなくはだけさせそこから生白く細い脚が覗く。そのさきに鮮やかに目がつく散りばめられた赤は種類は判別できないが何かの花のようであった。筆致はひどく繊細で、それにより艶かしく美しい女の姿が浮かび上がる。
しかし、彰が息を呑んだのはそれが理由ではなかった。もちろんその全てが作者の技量の一部であり褒め称えるにあまりあるものであるのだが、そんな細かな技巧よりもまず、誰もが目を注ぐような部分があった。

それは、女の顔であった。
苦しげにゆるく歪められた眉、白い肌に浮き立つ口紅の色。あゝそして、何よりもその瞳!

印象的な流し目。木箱かその先の虚空か行方の知れぬ場所へ向けられた視線。濡羽色の瞳は描かれていないはずの影を宿し、その影の奥には哀愁、憤怒、遺恨、そのどれでもありながら、しかしどれでもないような女の心情が映し出されているように感じられる。まさしく今紙の向こうで、一人の女が震えるような息をしてこの瞳をしているかのように思わせた。
一度視界に入れば逃れることのできないその眼差しを、魔性と言わずになんと言おう!

「美しい…。」

彰はその女の瞳に、そしてその姿に、この絵そのものに、体が絡め取られていくような未知の感覚を覚えた。それは痺れやうずきにも似ているように感じられ、しばらく呼吸もままならず、瞬きすらもできず、ようやく彼が発すことのできた言葉はそれだけだった。
ずっと絵の隣に立っていた悠はその無言の時の間に彰の内側に現れた言い知れぬ痺れと夢幻を知ることのないまま、ただ彼が絵に魅入られていることだけはわかって、「そうだろう。」と満足そうにうなづいた。
未だピリピリと指先が痺れるような痛みを感じながら、彰はその後、先ほどよりもしっかりと力が込められた声で言った。

「この絵を、譲ってくれないだろうか。」

するとさらにその声を聞いた悠は、ニヤリと笑みを深くして、彰のそばへとよる。

「かまわないさ。もともと君が気に入ったのなら譲ろうと思っていたからな。」

あっさりと承諾した悠の声を認めると、彰は椅子からそろりと立ち上がってイーゼルに近づき、恭しい手つきで絵を持ち上げた。しっとりと手に重さが伝わり馴染んでいく。その様にまで感動を覚えながら視線を巡らせると絵の左端の方に、離れた距離からは気がつかなかった文字を見つけた。

「とばり、しょう、らん…。」
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